通訳というお仕事は、実は普通に考えられているよりも奥が深くて複雑なお仕事です。通訳のお仕事で最も大事なことは、

 

① 話し手が表現している言葉を聞き手に訳すことではありません。

② 話し手が伝えたいと思っていることを聞き手に理解してもらうことです。

 

さて、①と②の違いは何でしょうか?

 

実はそれがコミュニケーションの核心となります。コミュニケーションにとって重要となるのはその質の高さです。

画像はRöhr + Stolberg社における、同社と東ソー社との特殊(臭素運搬用)コンテナに関するミーティングの様子
画像はRöhr + Stolberg社における、同社と東ソー社との特殊(臭素運搬用)コンテナに関するミーティングの様子

英語などの外国語での会話に限らず、同じ日本人同士の間での日本語のやりとりでも、世代や育った環境、家庭、教育、経験や体験、本人の好みや興味、趣味など の違いがあるので、ひとりの人間が思ったことを別の相手に伝えて、それを完璧に理解してもらうというのは本当は至難の技なのです。

 

情報の発信者がその思いを本当に100%正しく表現できたかどうかから始まり、仮に送信(表現)がパーフェクトであっても、今度は相手がそれを聞き間違いなくパーフェクトに受信してくれたかどうか分かりません。もし仮に送受信が理屈上パーフェクトでも、送信者と受信者では考え方が違います。つまり送信者が思ったことをそのまま受信者に理解してもらえるかどうかは分かりません。

 

表現の仕方が十人十色なら、理解の仕方も十人十色です。それゆえに、言った、言わない、聞いた、聞いていない、の誤解のトラブルは世の常です。発信者が必ずしも自分の言いたいことを言わないこともあります。意図してのこともあれば、言ってから「しまった!」という時もあります。

求められている答えがYESまたはNOであっても、YESかNOを意思表示せずに、まずは長い説明やいいわけが出てくることもあります。「なぜ?」を聞いてもしないのに、「なぜなら...」と始まる時もあります。

できる通訳は、両者の機微の領域にまで入るので、必要なら両者とその都度確認を行います。よって、できる通訳とそうでもない通訳では、通訳の間の取り方、タイミングに違いが出ます。コミュニケーションとは実はそれほど奥が深く、ロビンソン・クルーソーには誰もなれないことから、それは人間にとって空気と水、食料の次くらいに大事なものです。

 

通訳のお仕事は、言葉の通じない話し手と聞き手の間に入り、人間にとって空気、水、食料の次くらいに大事なコミュニケーションを、その都度いかにパーフェクトに完成させるかがその醍醐味ですが、その時に両者の邪魔にならないように注意します。

写真はRöhr + Stolberg社における鉛特殊加工コンテナ製造の現場での打ち合わせ
写真はRöhr + Stolberg社における鉛特殊加工コンテナ製造の現場での打ち合わせ

た とえば会議室における通訳ではなく、工場などの現場での通訳、それも単なる見学ではなく機械設置の立ち会いなどになると、各人に複雑な動きが出るので、そ こでの通訳の動きは、まるで相撲の行司やサッカーの審判の様な動きが要求されます。つまり、情報の発信者である話し手も、受信者の聞き手も、常時動いて立 ち位置を変えます。

 

通訳はその都度それに合わせて自分の立ち位置を、話し手の話をよく聞けて、尚且つそれを聞き手に伝えやすい所に持っていく必要があります。「通訳さん、ちょっとここに来て!」などと話し手や聞き手に言われてはもう通訳失格です。

 

話し手が話している時も、聞き手が聞いている時も、相手がどういう表情をしているかを知ることは、相手の気持ち、心を知るためにとても大切なので、両者のアイコンタクトは欠かせません。よって通訳の立ち位置は、話し手と聞き手の邪魔になる位置は御法度です。

 

力 士が行司の存在、プレーヤーが審判の存在に気がつかないくらいが理想的です。理想は、両者の間に入ったやや後ろです。でも人間の耳は、主に前から来る音用 に作られているので、やや大き目な声が必要です。では総合的に理想的な通訳とはどういうものでしょうか? 総合的に理想な通訳の存在とは実は空気のような存在なのです。

話し手と聞き手が、お互いの言葉がまるで通じているかのような勘違いを起こすほどになり、通訳の存在が忘れられるくらいになればベストな通訳です。それはどういう事でしょうか? それは通訳が話し手と聞き手それぞれの頭になってしまう事です。両者の頭の中をいかに理解出来るか次第で通訳の腕が決まります。

 

その場で現れる表現を単に訳すだけなのは、2流の通訳です。1流の通訳は、話し手が表現する事を聞き手に伝えるだけではなく、話し手が聞き手に伝えたい事を理解して(欲を言えば察して) 伝える事です。 それが①と②の違いです。

 

では両者の頭になるにはどうしたら良いでしょうか? それにはなるべく多く相手に接して、より相手を理解するしかありません。理解すればする程、①の通訳が不要になります。①が不要になるということはどういうことかと言うと、少し大袈裟に言うと、話し手の質問が出る前に、何を質問したいかが分かってしまいます。そして聞き手がどう答えるかも前もって分かってしまいます。それが究極の通訳です。

 

あ なたを一番理解しているのは誰でしょうか? 家族や親友です。家族や親友なら言わずして理解していることが多々あります。阿吽の呼吸です。例として良い夫婦の関係は、お互いに空気のような存在と言い ますが、通訳も同じように普段その存在に気付かれないほど仕事がスムーズに進み、イザ通訳がいなくなって初めてその(空気の)存在の価値が分かるというのが最高です。

 

通訳もそこまでのレベルに行くと、現場を仕切ることまでできてしまいます。両者をどちらも把握して進行を進める役になるからです。日本から出張して来ている部隊、決して余裕を持った人数で編成されているわけではありません。最初は(良く言えば)通訳さんに仕事を手伝わせたら悪いから、(悪く言えば)通訳さんにできっこないから...

と、 仕事を手伝わせてはもらうことは出来ませんが、数日間一緒にいて、「おっ、この通訳さん、なかなか気が利く...」ということにれば話は別。仕事のお手伝 いもできるようになり、さらにはその内に頼られて、「ちょっと、すんません...」などと、通訳ではなくお手伝いで声をかけられるようになるような通訳を 心がけています。

 

実 際に、そこまでやるのが真の通訳だと考えます。①の場合は、表現されていることだけを訳します。つまり表面的ですが、②は相手が何を考えているのかを理解 して伝える必要があります。基本的には安心を伝えることを優先し、心配、不要な通訳はしないことにより余計な心配と無駄を省きます。

 

でもそれでは、「後々に大きな問題となってしまうかもしれないトラブルの種を伝えないので危険なのでは?」というのとは全く違います。後々トラブルになる可能性のありそうなことは勿論前もって伝えます。伝えないのは、話し手の独り言に近いような心配ごとです。

 

そういうことまで伝えて相手に要らぬ心配、揉め事に発展させる必要は無いどころか、むしろ避けたいからです。その辺の違いがよく分からない人はコミュニケーションが下手だと考えられるので通訳には向かないと言えます。

 

自 分が分からないことがあったら分かるまで何度も言葉を変えて質問してみます。そこで時間を優先し、はしょってしまうと後で後悔するかもしれません。通訳も 人間です。全ての会話をパーフェクトに通訳できる人などはこの世にいません。時には、「何度も聞き返してきて、この通訳さん大丈夫?」 と思われそうでも、通訳の内容の正確さを優先します。

聞くはその場の恥、聞かぬは一生の恥と言いますが、通訳に必要なプライオリティーナンバーワンは何と言っても正確さで、早さはナンバーツーですが、その正確さも①の方ではなくて②の方です。そして通訳の早さも②から生まれます。

 

難しいのは、ビジネス上の通訳では多くの場合において両者の間で利害関係が発生しているので、費用と責任がどちら側の負担になるかというシーンが出てきます。そういう場面で、その時の都合によって動物側に付いたり、鳥側に付いたりするコウモリの存在になってしまうのは最低です。それでは通訳が自分の首を絞めるだけです。通訳のお仕事も、実はとどのつまりは気配りです。

 

気配りといえば、両者に密着していると、いろいろな追加情報が得られます。その中で、両者の関係がより良くなると思われる情報を、通訳の必要がない場面にて両者に伝えるのも通訳の努めです。情報は、開示すればする程好転するように世の中はできているようだからです。

 

通訳の仕事とは①の方が正しいと主張する人も、ひょっとしたらいるかもしれません。では最終的に何を目指すか。それはやはりCSです。お客様に喜んでいただけたかどうか。お金を出すのはお客様。こちらがどんなに良い(と思う)ことを考えてもしても、お客様が不満足ならもうアウト。

お金を出したお客様が、出したお金よりも受け取ったものの方が大きいと感じてもらえれば大成功です。お客様に「いや、あなたのお陰で仕事がとてもはかどった。次回も是非お願いしたい」と言っていただけたらこれほど嬉しいことはありませんが、それが最終目標です。単に①の通訳をしていただけでは不十分です。

 

通訳として依頼主に付いて回る道中で、常に神経を張り詰めて

「これでもか、これでもか」と先回りをして気を利かせるのが本当の通訳です。